なんで勉強せなあかんねん? と聞かれたら④
2020/08/21
なんで勉強をしなければいけないのか?
ⅳ.やっぱり学ぶのは楽しいんやで
大人が子どもたちに勉強して欲しい理由は色々あると思います。でも大人たちの願いが、子どもたちをやる気にさせ、勉強にしっかり向き合うエネルギーの源泉になるわけではありません。
「あなたのためを思って言っているのよ」と大人たちが正論を言っても、ダメなもんはダメです。勉強をしたくないと言ったらしたくない。誰が何を言おうが、どうやったて!
学習塾の教室で、体験授業に来た子どもの中に、教室に入った瞬間から終始不機嫌な子がいます。先生の質問にも一切答えず、問題を一問も解かず、「絶対にお前らの言いなりにはならんぞ」、という強いオーラを感じる…。「おぉ…」、と周りが圧倒されるほどのその意志は一体なんやねん…。
子どもたちが勉強したくない理由も色々ありますね。きっと理由らしい理由がない場合もあるのでしょう。
でも勉強それ自体が嫌い、というケースばかりではないような気もするのです。
無理やりやらされるのがイヤ。
他のことがしたいのにさせてもらえないのがイヤ。
やっても分からないのがしんどくてイヤ。
こういった理由で勉強をしたくない子どもたちならば、新しい知識を吸収したり、問題を解く達成感を感じたり、徐々に作業の効率が上がっていったりといった、勉強の本質的な部分については、必ずしも嫌いというわけではないんじゃないでしょうか。
大人になってから、小学生や中学生のころの教科書を見ると、「あっ、そういうことだったのか!」と新しい発見があったり、「おー、教科書って見返してみると、とても分かりやすいし構成もよく出来てるなあ!」と感心させられることがあります。
中学生の社会や理科の教科書なんて、一般教養の読本として見るとすごく良くできているように感じるし、数学や英語の教科書もすごく分かりやすい。美術や保健、家庭科や情報の教科書を見ていると本屋さんに並んでいる「入門書」系の本より、写真やイラストが豊富で楽しそうです。
「こりゃすごい! 今からでも中学生の教科書レベルをきっちり読み込めば、あっという間に知識が取り戻せそうだ! それどころか今なら高校生の数学や理科の教科書もちゃんと理解できそうだぞ。そうしたらどんな分野の話題にもしっかりついていけそうだ!」
何度かそう思ったことがあります。でも私はこのアイディアを行動に移したことないんです。内容に興味がないわけではないんです。説明が分かりやすければ、やる気だって出るんです。たくさん知識をつけたら、カッコいい! と憧れもあります。
でもしないんです、勉強。
ついスマホとかパソコンを見ちゃうんです。これって勉強をしたくない子どもたちと全く同じですよね。とても子どもたちにガミガミ言える立場ではありません…。
とりわけ不登校の子どもたちは、「勉強できない大人の私」にとっても近いです。
家にいて、「自習しなさい」となっても、自力で進められる子は本当に少ない。時間だけはどんどん過ぎていくものだから、勉強の遅れは目に見えて明らかになってきて、ますます勉強へのモチベーションが下がっていく。学校に行っていると、どれだけ勉強嫌いの子どもでも筆記用具に触らないということはないでしょう。でも不登校の子どもたちは、「そういえば数か月ぶりに文字を書いた」ということもあり得ます。
「ダイエットができない」、「禁酒禁煙できない」など悩んでいる人は、大人でもたくさんいます。私はその中でも意志が弱いほうです。大人だって、常に自律して研鑽を積んでいる人ばかりではないんです。自発的に勉強を始めない子どもたちを、大人の立場から責めても虚しいだけです。
「なんで勉強しないといけないの?」
勉強が嫌いで自棄になった子どもがそう聞いてきたときに、たとえ大人としてスマートに解答しても、子どものやる気にはあまり変化はないのかもしれません。でもそう聞かれたときに「大人の言うことを聞いていればいいんだ!」と抑えつけると、お互いに沸騰してくたびれちゃいますから、できれば子どもたちのしんどさやイライラをきちんと受け止めて、本人の気持ちが落ち着くのを待ってあげてはどうでしょうか。
「そうかー、そういうとこがしんどいかー」
「まあ確かにその気持ちも少しわかる」
「お父さん、お母さんも子どものころ○○の勉強ではく苦労したわ…」
穏やかにその場を凌げれば、まずは良しとしませんか。
一番大切なのは、勉強をしていると楽しい時もあるとを実感してもらうこと。勉強にくっついているイヤなイメージ、記憶を少しでも引っぺがすことではないでしょうか。
「なんで勉強しないといけないの?」「こんなんやる気せえへん!」と子どもたちがイライラしている。そうならないように、日ごろから大人たちができることは何かないでしょうか。
勉強って、少しでもやってみると面白いと感じる瞬間が時々あるものです。ゲームと同じで達成感や優越感を感じる瞬間もあります。お父さんお母さんも、経験ありませんか。宿題を始めるまではしんどいけど、やればあっという間に終わってしまう。集中して問題を進めているときは、むしろノリノリでちょっと楽しかったり。
子どもたちだってきっと同じ瞬間があるはずです。それを見逃さず一緒に喜んであげてほしいのです。子どもたちが頑張ったら、きちんと驚いて、感心して、褒めてあげてほしいのです。勉強に関して、楽しそう、満足そうな子どもたちの表情を見逃さず、一緒に喜んでほしいのです。
そうすることで子どもたちが勉強に持っているイヤなイメージを、ちょっとでも拭い去れないでしょうか。
本当は子どもたちが退屈と感じる勉強はさせたくないです。日常の些細なことから色んな発見をし、生活の中で体得してほしい。毎日の遊びですら学びの場であってほしいし、そのためにもたくさん遊んでほしい。決められたカリキュラムに従い、細かく切られた科目ごとではなく、すべての知識が密接に繋がっている世界を実感してほしい。
これをすべきと誰かが決めた内容ではなく、自分で選択した学びをさせてあげたいです。
でも今のところ私にはその力がありませんし、きっとほとんどの大人がそうなのでしょう。だからこそ、子どもたちには勉強で「楽しい!」と感じた瞬間を本当に大切にしてほしいと思います。机に座って、教材を開いて、問題に取り組むまでの気持ちのダルさを少しでも軽くしてほしいです。
勉強で感じる「楽しさ」はやっぱり特別な体験です。
勉強をするのは、生活の役に立つから。自分のためになるから。
でも最後はやっぱり、学ぶことそれ自体が楽しいから。
何とかそうならないかと、いつも思っています。