学校に行けないときの「体感時間」
2021/05/17
大人の人はみんなそうなのかもしれませんけど、
「あの出来事はもう十年前か~、早いなー」と感じることが増えています。
阪神タイガースがもう15年以上優勝していないと言われて、「嘘やろ?」となります。
2005年だから、そうか…そんなに。そろそろ優勝してもらわんと。
15年前となると、当然ですが今の小中学生のほとんどは生まれてもいません。
これまた「嘘やろ?」となるのですが、当たり前の話です。
実は私が生まれた年に近い、1985年に阪神タイガースは優勝しています。
掛布選手とか、バース選手たちが主軸で活躍した年。
15歳の頃の私からすれば、リアルタイムでプレー観たことない、
どの選手も神話の中の住人たち、遥か遠い遠い昔のことです。
なんの話か分からなくなってきました。
体感時間のお話です。
大人の時間の流れと、子どもの時間の流れって随分と違うはずです。
イヤなことをしている時と、好きなことをしている時で時間の流れも違うはずです。
よく私たちは子どもたちに
「ちょっと休みなよ」
とか
「いつか勉強に追いつけるよ」
とか言います。
<ちょっと>
<いつか>
この言葉でイメージしていることはきっと大人と子どもで違うんだろうなあ、と思います。
学校に行けなくなった最初の一週間、毎日がプレッシャーでお父さんお母さんもバタバタして、
何だか一日一日、気疲れしてしまってこの後どうなってしまうんだろう。
しんどい時間を長く感じるかもしれません。
一週間後には、つい最近まで自分が学校に通っていたなんて、随分昔のことのように思えるかも。
学校に行けない期間が長くなると、毎日が単調かもしれません。
気づけば一日が終わり、あーあ何にもしなかったなあ。
そんな時に「来年、高校どうする?」と言われると急に時間が加速するかもしれません。
保護者もきっと、こういうのはあると思います。
子どもが不登校になった当初の、あのつらくて忙しない日々は何だったのか、とか。
大人の側からすれば、「もう3日連続で休んでる!」となるとしても、
その三日間、子どもたちがどんなことをして、どんなことを感じて過ごしたのか。
子ども本人にしか分からないのだと思います。
待ち合わせで待たされている側にとって、その時間は随分長く感じるでしょう。
「もう十分遅れとるぞ‼」
でも後からすれば、「あそこまで怒ることなかったよな…」と反省したり。
何が良いたいのか分からなくなってきました。
子どもたちに、
「ダラダラしてる」
「遅い!」
と叱ったり、逆に
「なんで焦ってるの」
「イライラせずのんびりしたら」
と言ったり。
そんな時に子どもたちには子どもたちの時間の感じ方があるんだということ。
学校に行けていない子にも、それぞれ時間の感じ方があることを忘れちゃいかんな、と思います。
コロナウイルスの緊急事態。子どもたちも色々我慢しています。
例えば2年連続でゴールデンウィーク遊びに行けなかった子どもたち。
去年は中学生1年生。
今年2年生の時も行けなかった。
来年の3年生は、もう受験勉強で行けないかも。
こんなとこにも、出てくるのかなあ、と感じています。