不登校からの大学受験浪人生活の経験談
2021/10/22
しばらく投稿の期間が空いてしまいました…。
これから数回の投稿で、私がフリースクールに携わっている理由の核心部分に入っていければと思います。
前回までは、定時制高校を卒業後、両親に頼み込んで一年間大学受験浪人をさせてもらうまでの私の体験を書きました。
結論から言えば、大手予備校で1年間勉強して成績は伸びました。そして周囲が当初考えていたよりも高いランクの大学に合格することができました。
しかし今の私にはその時期の過ごし方が、その後の大学での『失敗』に繋がっているように思えてなりません。
当時の一般的な浪人生と同じく、予備校の校舎に通い、朝から夕方まで勉強していましたが、そこでは他人とのコミュニケーションが全くありませんでした。
朝に校舎へと行き、映像授業を夕方まで見て、自習をして帰宅するその間に、へたをすれば誰とも話さないような生活になっていました。
変な表現になるかもしれませんが、それは「勉強している引きこもり」のようなものに近いのではないでしょうか。
そうした生活では、つらいことも楽しいことも誰かと共有することはなく、気持ちは内へ内へと向かって行きます。自分の将来に思いを巡らせても一向に結論が出ないままで、思考はいつも同じところを堂々巡り。
受験生というのは、自分の空間に籠って黙々と勉強していれば、誰からも文句は言われない立場です。
ですから、ひょっとすると世間一般の受験浪人生たちも、多かれ少なかれ私と同じように孤独なものかもしれません。
そして大学に進学することだけを目標にするのなら、それで何も問題はないのでしょう。
受験勉強自体は本来独りで淡々とこなすものですが、それでも人との関りがなくなると、寂しくて、つらくて、不安になる人もいるのかもしれませんね。
しかし世間一般の浪人生と異なり、不登校を経験していた私にとってはそうとも言えませんでした。
孤独な状況の中で生活していても、居心地は必ずしも悪くはなく、すでに慣れ親しんだ状態なのかもしれません。
私は結局、一年間予備校に通いながらも、そこで一人の友人もできませんでした。
スタッフの方や先生方とも業務上のやり取り以外はほとんど会話がありませんでした。
それでも勉強にまったく支障はなく、寂しさを感じることはあっても耐えられないほどではありませんでした。
むしろ勉強に頭を割かねばならない時期だから、新しく人間関係を築く勇気を捻り出して、そこに気遣いをかけることはハードルが高い。
そうしたわずらわしい作業をするくらいなら独りでも構わないな。
そう考えてしまうのです。
結局そこに落とし穴があったように思いました。淡々と独りで勉強して、大学に入学したものの大学生活でも主体的に動くことが出来ず、与えられるもののみを独りで消化してしまうことになるのです。
大学以降の話は次回にするとして、もう一つ浪人時代に悔いが残ることがあります。
大学選びをとてもいい加減に決めてしまったことです。
正直なところ、「偏差値の高い大学」「有名な大学」という基準しか持っていませんでした。
学部も専攻も「どうでもいい」という態度でした。
大学進学という希望は持ってはいたものの、それは「行かなきゃカッコ悪いよな」くらいの意識です。そうした見栄っ張りな側面が強い一方で、大学で何か学びたいことがあるわけでもないし、将来への青写真があるわけでもありません。
また、大学ってこういった場所だよな、といったイメージがないので、楽しそうな大学生活も思い浮かびません。
バイトとかサークルとか、友だちと遊んだり恋愛したりといったことを何も望んでいないのです。
大学には何も期待していないのです。
大学生になること自体が目的になっています。
だから大学に期待することは、ある程度自尊心を満足させることが出来て、世間に対してもそれなりに押し出しが効くであろうネームバリューがあることだけでした。
本当に情けない話で、とても後悔しています。
そしてそんな動機で進路を選択した私が、大学入学後にどうなったかを次回以降に書きたいと思います。