フリースクールに携わっている動機 最終回
2021/11/12
さて複数回にわたって、私の経験を書いてきました。
今回はそれを踏まえて、どうして私が今もフリースクールで、不登校の子どもたちと関わっているのか、まとめていきます。
まず私は、学校に行けない、行かない時期があったとしても、それ自体は良いとも悪いとも考えていません。
不登校は子どもたちの成長過程における、単なる状態のひとつに過ぎないし、それを経験する子もいれば、経験しない子もいるというだけです。
そして安易に不登校という言葉で一括りにするのも、どうなのだろうと考えています。
ひとりひとりの事情が異なるのですから。
学校に登校していないという今の状態で、子どもたちは何ができるだろうか。
大人たちはどんなサポートができるのか、どうすれば子どもたちの可能性を拡げてあげられるのか。
そうした点を冷静に見ていないと、子どもに向かって「学校に行け‼」とどなってしまうかもしれません。
繰り返しますが、私たちが不登校と呼ぶ子どもたちの状態は、どんな子ども、どんな家庭にも起こりえるし、正しいとか間違っているとか、そういったことではないと思います。
だから、結局は学校に行かないことで何が出来なくなったか。
学校以外の場所で何が出来て、それが将来にどう繋がっていくのか。
まるで損得勘定のようですが、そういったことを冷静に考えることが本当は大切なのだと思います。
でも実際に私が不登校の当事者だった時、そんなことを考えることはありませんでした。
そして私の両親も、そんな冷静に事態を受け止めることはできていなかったと思います。
そういった時に、フリースクールのような存在が、場と情報を提供できればとても素敵だと考えています。
そうしたフリースクールという存在の中で、私にできることは限りがあります。
「自立して生活できる人」
「気持ちを表現できる人」
「自分と他人を大切にできる人」
そんな大人に子どもたちにはなってもらいたいと最初の頃に書きました。
そして私は、高校、大学、それ以降の期間でそういったことをうまくできませんでした。
私自身の経験なんて、そこまで役立つものではありません。
しかし学校に行く、行かないに関わらず、どの子どもにとっても、進学することや就職することはゴールでなく、そこで楽しく充実した時間を過ごすことこそが大切なはずです。
私はこれまで、それを痛感してきました。
そして、この子は、これから進んだ先で大丈夫かなあ…。
私と同じような部分で、しんどい思いをしないかな?
おせっかいにも心配してしまうことは多々あるのです。
そうした子どもたちが目の前にいて、今何か一声かけなければ、いつか後悔してしまいそう…。
杞憂に終わればそれで構いませんし、私たちと関わることで、子どもたちがちょっとでも良い方向に変化することができれば、それはやっぱり嬉しいことです。
出来ることと言ったら、子どもたちが今感じていること、考えていることを聞くこと。
知っていることを「もしかしたらこうすればいいかも…」と自信なく差し出すこと。
それくらいですけれど…。
中学、高校に行けず苦労した末に、めでたく大学に進学することになったはずなのに、なぜか泣きそうな顔で帰っていく子がいます。
私には、なぜその子がしんどいのか、はっきりとは分かりません…。
それでもその子がしんどいというのは痛いほど分かるし、追いかけて何か声をかけてあげないといけないということはよく分かります。
「しんどいよな。ぼくも同じくらいの年齢の時はしんどかった。進学した後もしんどかった。だから、これからもここに来てな。進学しても、絶対に相談に来るんやで。」
もっと早くから、少しずつそういうことを伝えておけば良かったのに。
でもその子が大学生になっても、時々相談に来てくれて、そして数年後に就職活動もしてしっかり社会人として働いていると教えてもらえると、本当に嬉しいです。
昔の自分には出来なかったことを、その子は成し遂げたのだなあ、とホッとします。
たまたま縁があってフリースクールで活動しているわけですが、子どもたちが成長している場面を見ていると、とても嬉しいです。
きっと救われているのは私の方なのだろうな、と思います。