緩やかな自傷行為
2023/07/13
少ししんどい話題なので、「あ、イヤだな」と思った方は読まないでくださいね。
今回はいつもより、もうちょっとだけ重たい話題に言及します。
自傷行為、自死。そんなことが社会には時折起こります。
多分誰にでも、どの家庭にも、起こりうることなのかな、と感じています。
その人の弱さとか、境遇の過酷さとか、あんまり関係なく。
ふっと突然、来るときは来るのかな、と思います。
覚悟を決めてとか、悩んだ末でもなく、日常の延長の中で、これといったドラマもなく。
私は、自分の可能性をどんどん潰していく投げやりな姿勢は、ある種の自傷行為だし、緩やかな自死だと捉えてしまうことがあります。
例えば、長期間の引きこもり、就労の放棄、過食摂食、通院の拒否、人間関係をカットする。大切な人を傷つける。チャンスが目の前にあるのにそれを放棄する。
勢いに任せてリストカットしたり、ふと魅入られるように命を捨てたり、そんなことはしないのです。
でもそうしたことの代わりに、上記のようなことをして、自分の選択で自分を傷つけている人は、統計で現れるよりずっとずっと多いのかな、と思う時があるのです。
自分の心や体が傷ついていくのは分かるはずです。
いつか抜き差しならない破局が来て、生きていけなくなることは分かるはずです。
でもそれを続けてしまう人はいると思います。
それはとても悲しいことだと思います。
現代に生きる私たちは、よく「ありのままでいいよ」と言います。
でも社会との接点を断ち、家族を傷つけ、健康を損ない続ける生活を、「ありのままでいいよ」とは言えないはずです。
あなたのありのままの姿は、きっとこんな姿ではないよ。
そんな風に言うと思います。
そして、そう言われても、本人たちは「私の何がわかるのか」「だからと言って、どうしろと言うのか」と泣き叫んでいるんだと思います。
「このままじゃダメだ」
みんなそう言います。
でも具体的な処方箋はありません。
みんなで頑張っても報われないことも多いです。
互いに疲れて、怒る気力もなくなることがあると思います。
そしてもっと長引くのだと思います。
私が日頃お話しする不登校のお子さんや保護者の方は、幸いなことにまだまだそういった段階まで進んでいないことが多いです。
十代の子は、まだまだたくさんの可能性が残っていて、ちょっとやそっとポイ捨てしても、まだまだ色んな選択肢が残っています。
でもお父さんお母さんは「今この子は、自分自身を傷つけているのだろうか」という視点はどこかに持っていてほしいと思います。
何かを頑張りすぎる。
お菓子やジュースばかり飲食する。
法を犯す、倫理を無視する。
大切な人に暴力や暴言を吐く。
それはカッターナイフを手首に押し当てているのと同じだと思います。
もし目の前で手首にカッターを当てている子がいたら、何が何でも止めると思います。
飛び降りようとしている人がいたら、事情に関係なく、体を押さえつけると思います。
勇気がいるけど、それだけは駄目だよ、と押しとどめなきゃいけない瞬間はあるはずです。
それはその子を否定したのではなく、むしろ本当の意味で尊重しているのだと思います。