「勉強なんかしなくてもいいよ!」と言ってあげられないのが辛いところ…。(前編です)
2023/09/11
学校に行けなくなった時、大人たちが気にするものの一つが、勉強の遅れです。
ここで言う勉強とは、学校での教科学習ですね。
中学校なら、英・数・国・理・社&美術・家庭・保健体育・技術家庭。
とりわけ、英・数・国・理・社の5教科の遅れが気になってしまいます。
今回は学校の教科学習の勉強についてのお話。
本当は「勉強」や「学習」という言葉はもっと広範なはずで、上のような枠組みは、子どもたちにとっては窮屈なものかもしれません。
私も「あれもこれも勉強だよ」と子どもたちが好きなことを、たくさんさせてあげたいという気持ちもあります。
とはいえ、高校入試や大学入試のことを考えると、どうしても学校教育のカリキュラムに沿って進めることも必要になってきます。
それに、仕事や生活のうえで、「これくらいできないと…」の『これくらい』の物差しは多くの場合、学校教育のカリキュラムに依拠していると思います。
例えば、「小学生の計算ができないと将来給与の計算大変やで」といった感じ。
「せめて小学生の勉強くらいは…」
「せめて中学生の内容くらいは…」
大人がそう考えてしまうことは、自然なことだと思います。
勉強せずにゲームばっかりしている。
それで生きていける人も、もしかしたらいるかもしれないけれど…。
若い時期に、高校や大学で学ぶチャンスは逃してしまう。
大人の側からすると、それはとってもリスクが大きい選択だと感じてしまいます。
かくして大人と子供の間で、
「勉強しなさい!」
「イヤ! めんどくさい!」
というバトルが延々繰り返されているわけです。
(別に不登校とは関係なくどこの家庭でも)
学校に行けていないと、大抵は学習の時間が少なくなります。
家にいても、ほとんど勉強していない、というお子さんが多いです。
やっぱりほとんどの子が、勉強を好きではなくて、
強制力が働かないと、勉強に向かうことはできないのでしょう。
私自身もそうだったので、これはもうどうしようもないです…。
それに「勉強についていけない」「授業がわからない」といって、
学校が嫌いになる子もいるわけです。
あの科目が嫌い!
机に座って本読むのがつまらない!
鉛筆動かして書くのがめんどくさい!
気持ちは、まあ分かるのです。
自分がそうだったからなあ…。
それでも、「やっぱり少しくらいはしたほがいいよ?」と思ってしまいます。
「少しくらい」の程度は、人によって違うのでしょうけど。
将来に向けて、ちょっとでも選択肢を増やすために、
「少しくらいは勉強しておこうよ」と言ってしまいます。
じゃあ実際に
例えば、漢字が全然書けない読めない。
九九ができない。
東西南北も分からない、時間の計算もできない。
そんな人が社会に出てどうなるのか。
生きていけないか、というと…、
そうでもないような気がします。
ただし…、別のしんどさはあるかもね、
というのは後編で書きますね。