別室に通える不登校の子どもたち
2024/05/23
最近は、学校でも別室登校や校内フリースクールを準備しています。
その成果もあるのか、
不登校の子どもたちの中にも、「学校に行こうと思えば行ける」という子どもたちが、そこそこいます。
もちろん学校に行くといっても、教室に行けるわけではないし、毎日登校しているわけではないです。
でも、学校と言う空間に赴くことや、先生と接することに抵抗を感じることが、ないようなのです。
そうした子について、
「昔は、学校に行くか、そうでなければ全く行かないかの、どちらかだった気がする。世の中の変化なのかな?」
という声もありました。
そうかな…?
そう言われると、うーん、どうだろう。
今回は、そうした学校に行くこと自体はしんどくなさそうな子について。
学校自体に「どうやっても行けない」、全く登校できない、という場合はある意味わかりやすいんです。
学校自体に行くことがハードル高くてしんどいという時。
本人は「行かなきゃ」、「行きたいな」と感じていても、怖かったり不安だったりして登校できない。
いざ行こうとしても、おなかが痛くなるなど、体調に出てしまって行けない。
学校の敷地に入ったり、先生や同級生に会うことが怖くて、別室に行くのも無理。
大人にとっては、こうした子どもの反応は、分かりやすいかもしれないですね。
それほどしんどいのか、それなら見守ろう、となりやすい。
しかし、そこまで学校が怖いわけでもないのに、でも「授業や教室には行きたくない」。
教室に入るのはイヤだけど、別室に行くのはそれほど苦ではない。
こうなると、大人たちは、「はて…?」となんだか不思議に感じてしまうかもしれませんね。
「え? 気まずさとか感じたりしないんだ?」
頑張れば(別室)登校できなくもない。
周りに促されたら、学校に行くこともあるかもしれない。
それでも結局は、しんどい、家にいたいと言い、別室にも行ったり行かなかったり。
昔との単純な比較は難しいですけど、学校に通いながらフリースクールに来てくれる子は、確かに増えているかもしれません。
行ける日は学校に行く。
途中から学校に行く。
テストの日に学校に行く。
大人が考えているような登校スタイルではないけれど、かといって学校を完全に避けているわけでもないようです。
学校や教室には「(今は?)行きたくない」。
しかし、「行けなくて困っている」といった感じでもないですし、そのことを気に病んでいる様子もなかったり。
実際に、別室登校している子に、「学校行くのしんどくなかった?」「頑張ったね」と言うと、「いや、学校に顔出すことは、別にそこまでしんどくないねん」と答えてくれたりします。
学校のことを考えただけで、しんどくて辛くて、不安いっぱいの子どもを私たち大人は想像しがちです。
しかし意外と飄々と、学校と関わっている子もいるのでしょう。
部活に行く子もいれば、修学旅行に行く子もいるようです。
学校が怖いわけでも、嫌いになったわけでもない。
先生に会うのも、人からの視線もそこまで怖くない
周囲が登校へのプレッシャーをかけていない証左だろうし、良いことだよなと思います。
私自身は、学校に行きづらい子が、学校に行ったり、フリースクールに行ったり、その他色んな所を掛け持ちして、美味しいところをつまみ食いすることは、「全然あり」だと思いますので。
もし教室に入れなくて、授業に参加できず、しかし学校に登校することには抵抗を感じないと言うなら、別室でも保健室でも、放課後でも、いろんな形で学校に行ってみるのは良いですね。
学校に顔を出すことが小さな一歩となり、やがて教室に戻る子もいます。
担任の先生から情報を貰う、課題を貰う、それだけでいいと割り切ってしまうのならそれもありでしょう。
学校の機能の一部でも、有効活用できるのならば、それに越したことはありません。
と同時に、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、心配な点も。
話を聞いていると、こんなことを言う子がいるからです。
「別室に行かないとお母さんがブツブツ言うから」
「別室に行っても、することないし、つまんない」
「○○の授業はめんどくさいから、その日はサボる」
…。
その発言は、ご家庭で揉めやしませんか?
言葉を選べい…。
「学校に行くこと自体は平気な不登校」
登校なのか、不登校なのか。
柔軟だと取るか、いやいやむしろ頑なだと感じるのか。
賢い態度だと思うか、腹が座ってねえなと思うのか。
頑張っていると捉えるのか、アリバイ作りだと捉えるか。
もう少し頑張れと押せばいいのか、無理するなと止めればいいのか。
あと一歩だと感じるか、いやいや本質的には何も解決していないのか。
これは結構、周囲の大人が試されとるな。
お父さんお母さんは、これはこれで悩みがあるだろうな、と思うのです。
教室や授業には参加せず、それでも頑張って学校に行く。
そこにどんな価値や理由があるのか、大人と子どもで考えておかないと、思わぬ行き違いが生まれやしないかと、そこだけはちょっぴり心配です。