私自身の不登校の記憶・その2 不登校のきっかけ
2024/06/28
その1の続きになります。
私は中学2年生の2学期から学校に行かなくなり、その後、不登校のまま中学を卒業しました。
期間にすれば1年8か月くらい学校に行っていません。
学校に行けなくなった直接的な原因は、パニック障害になったことです。
近年は芸能人やスポーツ選手でもパニック障害で悩んでいる人が多いようで、そういった記事を目にする機会も増えました。
おそらくは表立って告白できなかっただけで、昔から色んな人が苦労していたのかもしれません。
私の場合は、中2の運動会の本番で、大きな発作が起こりました。
それまでは体調に何の問題もなく、リレーも走って、クラスメイトとふざけあって過ごしていました。
気が付いたら、突然、色んな感覚が遠いものになり、目の前の風景の現実感がなくなっていることに気が付きます。
筋肉が強張っていて、足や手はブルブル震えて力が入りません。
そして何より、とにかく怖いのです。
理由もないのに、自分の体の状態が恐ろしい、周囲の何もかもが恐ろしい、冷静な判断ができません。
自分がどうなるのか分からず、死ぬのかも、と思ってますます身体が強張ってしまいます。
その後どうなったのか、実はあまり記憶にありません。
ただどうにかして、校舎の休憩室で横になって、体の震えが収まるのをじっと待っていたのは覚えています。
(運動会をサボっていた、ちょいワルの生徒が話しかけてくれたのは、今でもなぜか覚えています)
その後、母親が連れて行ってくれた内科での診察は異常なし。
心電図その他、健康そのものでした。
ですから、翌日からも投稿はしていました。
しかし後日に同じようなことが、学校の休み時間の教室で起こりました。
パニックになり、保健室に行きましたが、もちろんどうにもなりません。
二回同じことが続いたことで、私は学校に行けなくなってしまいました。
また同じようなことが学校で起こるのではないかと思い、怖くなってしまったのですね。
心療内科の先生に診てもらい、しばらく学校を休むことになりました。
自分としては、症状が出てきた時への恐怖感が薄れれば、また学校に行くつもりでした。
長期間休むとは思いませんでしたし、それはダメなことだと思っていました。
しかし学校を休んでいるある日、気晴らしに外出した際に、とても大きな発作がありました。
古本屋さんまで自転車に乗って、一人で買い物に行ったときのことです。
「あ、これはまずい!」
と思った時には体が震えだし、一歩も動けなくなりました。
家からは少し距離があって(3~5キロくらいかな)、まずいことに当時は携帯電話を持っていません。
誰も助けてくれないし、どうやって助けを呼んでいいのかも思いつきません。
河川敷のベンチで横になったまま、ブルブル震えて動けなくなってしまいました。
「もう立ち上がることができないし…、横に転がって移動して、川に落ちよう…。」
「そうしたら、きっと誰かが気がついて、救急車を呼んでくれる。」
怖くて怖くて、考えつくのはそんなことばかり。
人間追いつめられて「パニック」になると、本当にめちゃくちゃな考えや行動に逃げてしまいそうになるのですね。
「きっとこのまま死ぬんだろうな」
「こんなにしんどいのが続くなら、このまま川に飛び込んで死んでもいいな」
そんなことまで考えていました。
私の考える、パニック障害の発作の厄介なところのひとつは、一番しんどい時を過ぎると、身体自体は健康というところです。
私は内臓も血管も脳も、異常はまったくありませんでした。
むしろ健康そのもの、運動好きな子どもでした。
事情を知らない人からすると「何バカ騒ぎしているの?」となるかもしれませんね。
(ベンチに横になっていると、泣いているように見えたのか、何かの勧誘の女性が二人、「あなたはお困りのことがありますか~」みたいに話しかけてはくれました。でも「体調が悪い」と伝えると、「あ、そうですかー」とスルーされたのは、なぜか覚えています。そういう時こそ、救ってください…。)
自分ももちろんですが、周囲の人も基本的には何も出来ない、というのは難しい。
発作が収まるのを、しんどい思いをしながら、じっと待つことが基本です。
外出先でいざという時、「(自分も含めて)誰も頼りにならない」ということは、当時の私には重たい事実でした。
30分ほどでしょうか、ベンチで横になっていたら発作は収まりました。
意を決して自転車に乗り、自宅に帰りついても、何があったのか、どれだけしんどかったのか、家族にうまく説明できませんでした。
それ以来、私は家から外出することができなくなりました。
自宅の目の前にあるスーパーに買い物に行くのもできなくなりました。
「外出先で倒れたら、誰も助けてくれないじゃないか!」
頭にあるのは、そればっかりでした。
他にも色んなことへの不安感が強くなりました。
夜就寝するときに、心臓の鼓動が気になってなかなか眠れません。
のどに何か詰まっているような気がして、水ばかり飲んでいました。
そうしたことがしばらく続いたため、私自身も両親も
「しばらく学校には行けないかもしれない」
と諦めがついたのだと思います。
さて、そうした学校に行かない生活の中で、私がどのように生活して、家族はどのように接していたのか、次回は書いてみたいと思います。