私自身の不登校の記憶・その5 家族の様子(父親と姉)
2024/07/12
私が不登校になった時の、私の母の反応を前回書きました。
今回は父と姉のことを思い出して書いてみたいと思います。
父は私が不登校になっても、平日は仕事に行くわけですから、母に比べると私に関わる時間は少ないものでした。
それでも夕飯は皆で一緒に食べていましたし、学校に行かない私に対して怒ったりもせず、それまで通りに接していました。
父は少し気分屋なところがあり、不機嫌になると近づきづらいところがあります。
また自分のこだわりや好悪をはっきりと表に出す人で、私の性格とは正反対かもしれません。
予定を立てて動きたい。
無駄を嫌う。
こういったことも父の特徴であり、私が持ち合わせていない部分です。
家族のため、何かをしてあげたいという気持ちは人一倍強い人なのですが、ちょっと空回りすることが多いかな、とも思います。
私が学校に行けなくなり、父は当然心配してくれました。
とりわけパニック障害の影響で外出できなくなったことを、どうにかしてやりたいと感じていたように思います。
私の父は、スポーツをするのが好きですし、休日に車を運転して家族で出かけるのも好きな人です。
ですから外出できない私の様子は、とても不健康(不自然、かな?)なものに映ったのではないでしょうか。
我が家では、父しか車の運転が出来ません。
そのこともあって、「父さんと一緒に○○まで行ってみないかい?」と良く誘ってくれました。(もちろんある程度、私のパニック障害の不安感が弱まってからです。)
「マンガ喫茶にでも行ってみないか?」
「ちょっと遠くの大きなレンタルビデオ屋、本屋に行ってみないか?」
「埠頭にテニスの壁打ちしに行かないか?」
このような感じで、なんとか私の外出するキッカケを作ろうとしてくれました。
外出することが怖い、外で発作が起こることが怖いという、パニック障害の症状を、最初はうまく呑み込めていなかったかもしれません。
「家族と一緒でもダメなものなのかい?」
「父さんの運転だから、いつでも停めて休憩できるのに、何が怖いの?」
理屈でうまく説明できない私の恐怖心や不安感に、不思議そうな顔をすることもありました。
正直、色々誘ってくれる時に、「鬱陶しいな」、「なんかちょっとズレてるんだよな」、と思う時もありました。
それでも父は、自分が理解できない私の行動や気持ちを目の当たりにしても、首を傾げたり、素直に「えー?」と驚いたりするくらいで、決して怒ったりはしませんでした。
親の意見をガンガン押しつける、子どもを馬鹿にする、そういった態度をとられたこともなかったと思います。
学校に行けていない時は、それだけで十分だったし、父の性格やもともとの価値観などを考えると、とてもよく見守ってくれたのだと思います。
さて私には姉がいます。年齢も近いですし、私が学校に行けなくなると、当時はよく世間話の相手になってくれました。
兄弟の誰かが不登校になると、他の兄弟が
「あいつだけ学校休んでずるい」
「お前なんで学校行かないんだ」
と揉めることもあると聞きます。
しかし私の姉は私の前ではそういった態度をとったことはありませんでした。
もともと姉弟仲は良い方だったと思いますが、それにしても優しい気遣いをしてくれました。
私が不登校になって、姉は色々不利益を被っていたように思います。
当時住んでいたマンションの間取りの都合上、一人部屋を確保するとなると、姉弟のうちどちらかのみになります。
私は不登校になり、生活リズムが乱れ昼夜逆転になりました。
するといつの間にか私が一人部屋になりました。
その間の経緯は良く覚えていません。
私がそこまで余裕がなかったということもありますが、結果として姉と父がそれぞれ部屋を移動して、私に譲ってくれたことになります。
姉は母と寝室を共有することになります。
高校生の女の子としては、とても窮屈な思いをしたはずです。
また実は当時、姉自身も高校でうまくいっていなかったそうで、随分としんどい思いをしながら、それでも登校し続けていたそうです。
母はどちらかと言えば私の対応を優先せざるを得ない状況でした。姉はどれくらいフォローしてもらえていたのでしょう。
弟が不登校になり、家庭の中がなんだか落ち着かない様子で、ここで自分までも学校を休むわけにはいかない。
姉はそんなことを考えていたのかもしれません。
また外出が苦手になった私は、長期休暇の実家の帰省などに同行しなくなりました。
私は不登校のことを、祖父母をはじめとした親戚に言いたくなくて、親戚づきあいを避けるようにもなります。
そういった時にも、姉は私の知らないところで、とても頑張ってくれたそうです。
弟の分まで、おじいちゃん、おばあちゃんに元気なところを見せないと、と一生懸命だったそうです。
夏休みなどは、母が私と共に自宅に残り、姉だけが父と一緒に帰省したこともありました。
帰省先で祖父母の家事を手伝ったり、慣れないことで姉ひとりに負担がいったこともありました。
当時の私は、そんなことにはまるで気が回りませんでした。
私が不登校になったことで、姉にも大きな負担をかけてしまっていたことは、随分と後年になって知ったことです。
それでも姉は、当時も私を責めることなく、漫画やゲームの話で一緒に笑ってくれました。
きっと今こうして振り返る思い出以上に、当時の私は姉の存在に救われていたのだと思います。
姉には感謝の気持ちで一杯です。