私自身の不登校の記憶・その6 全日制高校をあきらめた
2024/08/06
さて前回の続きです
中学三年生になって、私は相変わらず登校しませんでした。
不登校になって半年が過ぎた頃ですし、学校に行かず自宅にいる生活にも慣れて、その点ではしんどさを感じなくなりました。
パニック障害の発作もほとんどなく、強い不安感を感じることも少なくなります。
外出も少しずつできるようになりました。
近所のレンタルビデオ屋で(当時はネット配信とかありませんでしたので)洋邦新旧を問わず映画を色々借りてきたり、アニメを色々観始めたり、新しい楽しみもできました。
1999年(多分)の愛媛県松山市でのことです。
さて中学三年生になると、高校への進学を検討しなければいけません。
今、フリースクールで子どもたち(と保護者たち)と話していても、高校受験について、志望校の決め方や合否の判定方法など「ほとんど何も知らなかった…。」という場合がしばしばあります。
当時の私もまさしくそうでした。
その頃住んでいた愛媛県の公立高校の受験に関して、何も知識はありません。
そもそも、
「え、住んでる県によって、何か違うの?」
「公立と私立ってどう違うの?」
というレベルの話です。
小学校から中学校へ進級する時がそうだったように、中学生から高校生に進学する時も何も考えていなかったのです。
進学先なんて、自分で選ぶものではないと感じていました。
大人たちが、さらに言えば学校の先生が、「来年からここに通うんだよ」とそのうちに言ってくるもんだと、どこかで甘く考えていたのではないでしょうか。
実際、もし私が中学生で不登校にならず学校に行けていたとしても、そこまで高校受験に対する姿勢は変わらなかったのではないかと思います。
恐らく学校の先生の指導に従って、あの高校は無理、あの高校なら受かるかも、と両親を交えて相談しながら、なんとなく決まったはずです。
もしかしたら、なぜその高校に進学することになったのか良く分からないまま、高校に通い始めた気がしますね。
現実では、中学3年生の、いつ頃だったか分かりませんが、私は母親から「全日制の高校へ進学するのは難しくなった。」伝えられます。
内申書(調査書)というのがあって、中学校での成績が高校受験の際に大事になってくる。
あなたは2年生の秋から全く出席していないし、受験できないみたいだよ、と教えてくれたのです。
(受験できない、ではなく受験しても到底合格できない、というのが正しいと思いますが)
高校受験をほとんど意識していなかった当時の私でしたが、それでも少しショックでした。
学校に行っていなかったので、高校受験のことを忘れていた(意図的に見ないようにしていたのかな?)こともあって、突然選択肢が無くなったような気持ちでした。
「学校に行かなくなってから、勉強をサボってるし、きっと大した高校には行けないだろうな。たぶん学力低めの高校に通うんだろうなあ。」
それくらいの認識だったと思います。
ですから、「イヤ、そもそも普通の高校にはもう行けないんだよ」と言われると、少しびっくりしたわけです。(当時はやはり、全日制が『普通』という感覚が私にはあったのですね。)
中学校に登校していないことが、高校受験でそこまで不利になるなんて、今まで誰も言わなかったじゃん、という気持ちも少しだけありました。
(内申がなくても、当日のテストで何とかなるんじゃろ? と考えていたのかな)
しかし一方で「あ、そう」という気持ちもありました。
実は不登校が半年、一年と経過していく内に、投げ遣りな態度で色んなことを見るような癖が身についていたのです。
ですから、
「あ、そう。それじゃ仕方ないわ。もうなるようにしかならんね。」
となりました。
この気持ちの後ろには
「どうせ自分は、もう駄目なんだ。落ちこぼれなんだ。」
という気持ちが隠れているわけですが…。
それが表面に出てきて大きく悩むことになるのは、この時から3年後くらいの話です。
日常の些細なことから、大事な決断の場面まで。『投げ遣り』という姿勢は、この後も長く自分の悪い癖になっていくことになります。
さて話は戻って、とにかく私は全日制の(全日制という言葉自体知りませんでした)高校以外の高校から進学先を探すことになりました。
母から、愛媛県には公立高校で定時制と通信制があること、そこなら私でも進学できることを教えてもらいました。
次回は、私が定時制高校に進学するまでを書きたいと思います。