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私自身の不登校の記憶・その12 大学生活の大失敗

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私自身の不登校の記憶・その12 大学生活の大失敗

私自身の不登校の記憶・その12 大学生活の大失敗

2024/10/16

私は結局、一年間浪人した後に立命館大学の文学部に入学しました。
不登校の経験がある人間としては、それなりに「頑張ったね」と周りから言われる学歴です。

でも別にそこに入学したかったわけではありません。
文学部で哲学を専攻していました。でもそこまで哲学に興味があったわけではありません。

予備校の模擬試験では志望校を記入しますが、志望校一覧表の立命館大学の欄で一番上が哲学だったというだけです。


とっても斜に構えた、なんだか思春期や反抗期が遅れてやってきたような、面倒くさい大学生になってしまいました。

自分を大切にしない人間になっていました。
そのくせとても傷つきやすいのです。


大学生活では、親元を離れて一人暮らしを始めました。
頑張ってみたのは少しの期間だけで、すぐに生活リズムが崩れて、学校の授業もしばしばサボるようになりました。

例えば友人と遊びまわって自堕落になるのなら、まだ良かったのにと思います。

私はただゲームをして映画やアニメを見ていました。

楽しくないわけではないのですが、それ以上に惰性で時間を浪費することの方が多かったと思います。
楽しい時間や、充実した成果を産み出さず、ただ何かを消費し続ける生活でした。


私は大学ではサークルや部活にも参加しませんでしたし、学外でも誰とも人間関係を築けませんでした。
ますます大学に登校する意義を失い、単位もたくさん落としました。


結局、四年間で友人もできず、学業でも失敗し、就職活動もしないまま、ただ卒業しただけの大学生活でした。



大学にせよ専門学校にせよ社会人にせよ、主体的に自ら行動することこそが大事であったはずです。
しかし私はそれが全くできないのに、そこへ飛び込んでしまいました。


人間関係を拡げていくという作業に、とてつもないエネルギーが必要なので、身が竦んでしまう一方で、私には独りでいることへ強い耐性が出来上がっていました。

だから必ずしも一人暮らしをすることも、大学のキャンパスで独りぼっちでいることも、不可能ではなかったのです。

結局、自分から一歩を踏み込むことができず、大抵の場合は消極的な選択をして、誰かが何かをしてくるのを独りで待ち続けるというスタイルになってしまったのです。



もともと人見知りで、他人の顔色を伺うような傾向はあったと思います。

しかし不登校によって自分の進路が社会や世間の中心から一度それてしまったこと。
「もしかしたら」の話にすぎませんが、そのせいで「自分から他者に積極的に関わることの大切さ」を学び訓練する時期を失ったのかもしれません。



大学進学は確かに若者が通過する進路においてど真ん中の道だと世間では考えていると思います。
しかし私はそのメインストリートにあっても内に引きこもっていたのだと思います。     

中学生時代の不登校の時期、学校に行かず「世間の外で孤独でいる」状態でした。
大学に通っている間は「世間の中で孤独でいる」状態となっただけで、結局のところあまり大差はなかったのです。



もちろん不登校の生徒のみんながそうなるわけではありません。

しかし頑張って大学に進学、あるいは就職した後になって、大きな困難に直面する人は少なくないと思います。

私の場合は、人とのコミュニケーションを面倒くさがって、社会に関わることに冷めた意識を持っていました。
そして何事にも投げやりな態度を取り、自分自身を大切にしない生き方をしてしまいました。
その結果、『進学しただけ』になってしまい、苦労して手に入れた学歴と払った学費が無駄となったような、大きな罪悪感を今も抱えています。



不登校になったことは、悔やんでいません。
でも大学時代以降の自分の生き方は、今でも後悔しています。

次回まとめに続きます

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