学校に行くのが『損』か『得』か? その①
2020/07/09
学校に行くか、行かないかの選択基準は『損得勘定』でいいと思います。
ちょっとしんどいけれど、学校に行ったほうが、得することが多いな、と感じたら登校する。
学校に行ったら色々得られるけれど、それよりも自分のダメージが大きい、と計算したら行かない。
これだけでいいんだと思います。
だから不登校の問題に、『善悪』のようなものを持ち出すのは少しズレていると感じます。
大人が、学校に行き渋る子どもを問題児扱いするのはおかしいし、
子どもたちのほうでも、学校に行けないことを後ろめたく感じる必要もないはずです。
学校に行くことは正しい、良いことだ、と考えていると、実際に学校に行けなくなったときに
どん詰まりになってしまう。
「学校に行くことが『正しい』から無理をしてでも学校に行くんだ」
これではあまりにつらいです。
極論だけれど、
「これ以上、学校に行くと死んでしまう」
と感じていて、それでも学校に通学する子どもたちがいて、
それは学校で「楽しいことがある」とか「自分の成長のため」とか
メリットがあるから行くのでしょうか。
やはり恐怖心や義務感、行き場のないしんどさに縛られて、学校に引き寄せられている
のではないでしょうか
「学校には行かないといけないから」と思い込むのは悲しいです。
いろんな事情を総合的に計算して、学校に行くのか行かないのか答えを出せばいいんです。
就職や転職の時とか、老後の資産の運用とか、人生の岐路では大人も
みんな必死に『損得勘定』をしています。
きっと国会から職員室まで、足し算引き算の連続です。
別にお金だけを計算しているわけではありません。
根っこのところにあるのは、みんなで幸せになることです。
そしてそのために、まずはどうすれば自分が幸せになれるのか、
その計算を積み上げていくのは大切な作業でしょう。