フリースクールに断固通わなかった話(フリースクールに携わっている動機その7)
2021/08/03
「不登校だった中学生時代に、私がフリースクールなどに行っていたのか」
という話です。
私は中学生で不登校になってから、定時制高校に進学するまでフリースクールには通っていません。
また保健室登校や別室登校もしていませんでした。
「フリースクールというものがあるから、行ってみない?」
実は当時、母からそう提案されたことがありましたが、強く拒否した経験があります。
当時の私には、そういった学校以外の場所に行くことは考えられなかったし、学校でも保健室や別室に通うことはあり得ない選択肢でした。
このことに対しては、とても頑固で、感情的でした。
一体どうしてそこまで嫌がったのでしょう。
まず、どうも当時の私は、「自分は不登校ではない」と思っていた節があります。
いやいや、どこからどう見ても不登校でしょ、とツッコミを受けそうですが。
中学生の私は、学校に行けなくなった動機というか、原因やきっかけに強いこだわりがあったのだと思います。
そして、そういったことにこだわる背景には、決して表には出しませんでしたが、『不登校』という状態、『不登校の生徒』という人たちに、ステレオタイプの偏見を抱いていたことがあると思います。
ちょっとしんどいですが、当時の私の持っていた偏見と向き合っていきましょう。
私の友人には、不登校の子ども、学校に行かない、行けない子どもがいませんでした。
そのこともあってか、不登校は「いじめ」や「家庭の事情」、「学力・体力の遅れ」など、自分には縁のなさそうなことが原因で起こるものだと漠然と考えていたのだと思います。
そして、学校に来れない不登校の人は、「可哀そうな人」、「ダメな人」、「変な人」、そして何より「落ちこぼれ」といつの間にか思い込んでいたのでしょう。
そして私は、自分がその仲間入りはしたくないと強く思っていました。
私が学校に行けなくなった直接のきっかけが「パニック障害」だったことは、以前から書いていますが、このことが当時の私には都合がよかった面もありました。
中学生の私は、学校に通っていない自分の状態を、以下のように位置付けていました。
『自分は「パニック障害」という病気が理由で、一時的に学校を休んでいるのであり、他の不登校の子どもたちとは違うのだ』
……。
なんとも言えないですね。
滑稽であり、そして哀しいです。
そもそもなぜ、私は中学二年生の時、パニック障害になったのでしょうか。
それは、当時の学校生活のしんどさが、自分のキャパシティを越えてしまったからに他なりません。
(中学校の何がしんどかったのかは、またいつか書くかもしれません。)
中学二年生から三年生にかけての私の状態は「不登校」そのものであり、そしてその時の私は、どこにでもいる典型的な「不登校の生徒」の姿です。
しかし私は、
「オレは他の不登校の人たちとは違うんだ、だからフリースクールなんかに行って、そういう人たちと一緒に過ごすなんて受け入れられない。」
そんな風に思っていました。
どこまで本気でそう思っていたのか。
あるいは半ば虚勢を張っていただけなのかもしれません。
自分の経験からは想像もできない、フリースクールという場所へ、思い切って飛び込むことが怖かったのも事実ですから。
また私は、もし学校に行くのなら
「1限目から終業まで、登校する。」
「ちゃんと教室でみんなと同じ授業を受けるんだ」
と身構えていました。
ですから保健室や別室に登校したり、放課後課題を取りに行ったりもしませんでした。
遅刻して登校してみたことは何度かあったのですが、続きませんでした。
そして、そのようにきちんと(完璧なかたちで?)登校できないなら、家にいたほうがましだ、と意固地になっていたようです。
弱みを見せず、少しでもいいカッコをしたい、自分は特別だと思いたい。
その一方で好奇の目で見られたり、他の人と違う扱いを受けることは怖い。
どう見てもズレているのですが、こういった理由からフリースクールといったものには断固通いたくなかった、中学生時代の私です。
紆余曲折あって、フリースクールで子どもたちを迎える大人の側になった私ですが、そういった自身の経験があるからでしょうか。
フリースクールに来てくれる、子どもたち。
保健室登校してきた子どもたち。
ひとり一人に「やるじゃん」と言いたくなります。
少なくとも、昔の私には出来なかったことですから。