不登校の経験が『ある大人』と『ない大人』で分けない

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不登校の経験が『ある大人』と『ない大人』で分けない

不登校の経験が『ある大人』と『ない大人』で分けない

2020/11/05

私は、不登校の経験があります。
その経験が、フリースクールで働くうえで多少なりとも役に立っていると思います。

一方で、どこまで行っても、それは私だけの経験に止まります。
目の前にいる不登校の子どもたちの気持ちを、しっかり理解できているとは限りませんし、的確なアドバイスが送れているのかも自信がありません。

子どもたちと接している時には、自分の体験をあまり過信しないように気を付けています。
私が不登校のころに、誰かに言われて嬉しかった言葉が、目の前の子どもにとっては、とてもつらい一言になるかもしれません。

不登校に限らず、何かを経験したからと言って、経験のない人よりも常に正しい行動がとれるわけではないのです。

逆に言えば、不登校の経験がない学生生活皆勤賞の大人でも、不登校の子どもたちの力になれるはずです。

実際、フリースクールで子どもたちと接している大人たちは、不登校の経験がある人ばかりではありません。不登校とはこれまで無縁だったはずなのに、驚くほどすんなりと不登校の子どもたちに寄り添うことができる、そんな人はたくさんいるのです。

自身に不登校の経験がある、あるいは身近にそういった人がいた経験がある。もし、そんな大人しか不登校のサポートができない、なんてことになれば、子どもたちは社会からあっという間に孤立してしまいます。なんだかんだ言っても、学校に『普通に』通って、『普通に』卒業した大人たちの方が圧倒的に多いのですから。

学校の先生だって、自分自身は楽しい学校生活を送ってきたかもしれません。だからこそ教員を志望したという人もいるでしょう。
だからと言って、「学校に来ない生徒の気持ちがサッパリ分からない」、と突き放してしまう先生は居ないはずです。

お父さん、お母さんだってそうです。お子さんが不登校になったとして、「私自身が学校に通って、勉強に部活にバッチリ頑張ってきたから、この子が何考えてんのかサッパリ分かんないわ」とは言わないはずです。

自分が経験したことのない状況に相手がいる場合でも、私たちは共感することができるはずです。
しんどい作業になるかもしれないし、踏み込む勇気が必要です。
しかし、『私には分からない』という突き放し方は相手がとても傷つきます。
『分からない』なら、『分からない』なりに、分かろうという姿勢をとってほしいと思います。

反面、私のような不登校経験者も謙虚になる必要があります。自分自身の経験はデータとして踏まえつつも、子どもたち一人ひとりの気持ちは、そう簡単には『分からない』ものだと意識していなければいけません。

だから私たち大人に不登校の経験があろうがなかろうが、やることは同じなのだと思います。
実際に目の前にしんどい子どもがいたならば、あーでもない、こーでもないと、悩みながら個別に対応するしかないのです。

その謙虚さを失くした時に、子どもたちがそっぽを向いてしまうのではないでしょうか。

「私も昔、不登校だったから、あなたの気持ちはよ~くわかるよ‼」
もしこんなことを言われたらどう感じるでしょう。
(ホントの私を知らないのに…、なんだかまるで上から目線みたい?)

「私はそういう経験がないから、経験者のところに行ってよ…。」
反対にこう言われたらどうでしょうか。
(学校に行くのがそんなに偉いの? 私のことは大切じゃないんだ…)

自分をどちらかの立場に置いて「こっち」と「あっち」で線引きしてしまうことは、あまりに物事を単純化しています。

子どもたちが、
「大人は分かっちゃくれないんだな…。」
と感じないように、接していきたいですね。

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