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私自身の不登校の記憶・その10 大学受験を決めた時

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私自身の不登校の記憶・その10 大学受験を決めた時

私自身の不登校の記憶・その10 大学受験を決めた時

2024/10/12

さてさて、私の通っていた定時制高校では、通信制高校の授業にも参加できました。
また大検(今の高卒認定試験)の受検もできました。
その通信制と大検の結果を、定時制の単位として認定することができるようになっていたのです。


ですから4年で卒業のところを、3年で卒業していく生徒も結構いました。


私も3年間で卒業できたのですが、三年生終了時点で高校卒業後の進路が何も決まっていませんでした。
たぶん大学に行くのだろうなあ、とずっと思いつつ、どこのどんな大学に行きたいのかは考えていませんでした。
大学受験の勉強も三年間でほとんどしていません。



進路について目を背けてきた高校生活でしたが、3年目が終了しようという時点で、ついに家族で話し合う機会が設けられることになりました。


実は3年生卒業の時点で、周辺のいくつかの私立大学を受験して、合格してはいたのです。
しかし私はその時に合格した大学には行きたくありませんでした。
別にそこに入学したくて受験したわけではなく、とりあえず受けてみなさいと言われたから受験しただけだったのです。


それも踏まえての家族会議でした。




高校3年間でほとんど勉強せず、のんびりしてきた私が一体何を考えているのか、両親としても計りかねているようでした。
とはいえ、これから私がさらに一年、受験勉強を頑張るとも思えなかったのでしょう。
両親としては、今回合格した大学に、このまま進学してもよいのではないかという意見でした。


しかしそれ以上に両親としては、この際に私の本音が聞きたかったのではないでしょうか。

「あなたがどのようなことを考えていて、今後どうしたいのか、いい加減正直に打ち明けて欲しい」

そんな姿勢を両親から感じました。


むしろもっと早い段階で、進路のことを話し合っておくべきところを、両親も遠慮していたのか一歩踏み出せず、私がそれに甘えて先延ばしになっていたのです。




その場で、私はひどく動揺して、追い詰められた気持ちになりました。


実は今でもそういった傾向があるのですが…。
私は、重大なことを決めなければいけない時、例えば自分の進路とかそういった場面で、「あーはいはい、もうどうでもいいよ」と自棄になってしまいそうになることがあります。
そして大事な局面であればあるほど、意地を張ったり、そっぽを向いたり、ひねくれた態度をとってしまいます。

あるいは陽気な態度をとって茶化してみることも。


いずれにせよ、真剣に向き合わず、適当にその場から逃げようとしてしまうのは、本当に悪い癖です。



しかしこの時は、さすがに逃げることはできそうにありませんでした。
私が今後の進路についてどのように考えていて、何を望んでいるのかを、両親に誠実に話すべき場面でした。





私が話し始めるまで、少し時間がかかりました。
いつもは隠していた本音を、うまく言葉にできなかったのかもしれません。
自分自身でも、そこまで根深いものだとは思ってもいませんでした。


顔をゴシゴシこすったり、首の後ろをマッサージしたり、挙動不審な行動を一通り終えた後、ようやくポツリと両親に質問しました。


「中学2年生の夏に、僕が学校に行けなくなったときに、二人はどう思ったのか?」


その場のテーマから外れているように思える質問でした。


両親は少し面食らったようですが、
「当時はどうしてあげたら良いのか分からず、とても心配した」
としっかり答えてくれました。




そうしてようやく、私は隠していた本音を両親に話すことになります。


「自分は不登校になるまで小学校からずっと優等生をやってきた」

「勉強やスポーツで周りから優れているのが当たり前で、それを期待されていると感じていた」

「だから学校に行かなくなって、途端に自分から価値がなくなったように感じた」

「お父さんお母さんは失望して、僕のことを見捨てるんじゃないかと思った」



話し始めた途端に、ボロボロ泣き出して、堰を切ったように気持ちがあふれ出してきて、自分でもどうしようもなくなってしましました。
小さな頃から、私は怒ったり泣いたりといったネガティブな感情を、あまり表に出さないタイプでしたので、私自身も両親もこの展開にはとても驚いてしまいました。



結局のところ、中学2年生の夏から高校3年生の終わりまで、不登校になって4年以上の時間が経っていても、私の中では感情の整理が出来ていなかったのです。
相変わらず両親への負い目を感じ、自分への自信を喪失したまま、周りの様子を伺っていたのです。


投げ遣りで、将来のことを考えないのも、自分の本音を打ち明けられないことの反動だったのでしょう。
私が何事にもいい加減な態度をとるために、周りはそうした私に呆れて、お互い真剣に向き合う機会が先延ばしになっていきました。




私は結局、不登校になって以降の自分の本音を誰かに打ち明けることが怖かったのです。

そして、両親をはじめとした他人からの、正直な気持ちを聞くことが怖かったのです。




「大学への進学をどうするの?」
という質問から思いがけず自分の殻が一つ破れたわけです。


私は続けて、両親にお願いすることになりました。
「一年間、大学受験浪人させてもらいたい。」



理由は簡単で、少しでも有名な大学へ進学したかったのです。
興味のない振りをしていたけど、実は人一倍、ランクや学歴にこだわりがあったこと。
自分はやれば出来る、と何の根拠もなく密かに思い込んでいて、それが気持ちの拠り所の一つでもあったこと。
でも、今こうして何も結果がないままだと、本当に自分がどうしようもない人間になってしまいそうだ。
一年後の結果がどうであれ、それで諦めがつくと思います。
勉強に真剣に向き合うチャンスをください。



大体そんなことを両親には話しました。
不細工で身勝手で、お金もかかるお願いでしたが、両親は了解してくれました。

こうして私は、大学受験予備校に通いながら、浪人生活を送ることになりました。
 

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