それはどうなんだろう?「春、学校に行けたら『不登校物語』がハッピーエンド」
2022/02/28
前回、『春から、学校に通いたい不登校生徒のためのオススメ教材』を書いておいて、今回このタイトルですが…。
もちろん私は、子どもたちが学校に登校していなくても、ありだと思っています。
一方で、学校に登校するのも、それはそれでいいことだと考えています。
行ったり行かなかったりするのも、別にいいでしょ。
と考えています。
世の中には子どもや若者が主人公の、素敵な物語がたくさんあります。
漫画でも、ドラマでも、映画でも。
そうした物語のロケーション(適した場所)で真っ先に思い浮かぶのは、やっぱり学校になってしまいます。
学校以外で頑張る主人公でも、とりあえず学校には通って、教室で世間話とかしています。
若者主役のストーリの舞台として、とりあえず学校、というのが当たり前のようにあります。
(おじさん世代の漫画では、なぜか不良とかのアウトローですら、学校には律儀に通っていますからね…。)
もちろん製作者側の都合でしょうけれども、いつの間にか「とりあえず学校」といった部分は似通ってくるのでしょう。
もちろん物語は、物語に過ぎないわけですが。
しかし不登校に関して、お父さんお母さんや学校の先生、もしかしたら子どもたち本人も、思い描くハッピーエンドが似通っていないでしょうか。
つまり「学校に戻ることはハッピーエンド」な脚本を共有していないだろうか、ということです。
『紆余曲折あったけど、春、桜の花が舞う中で、勇気を出して登校する不登校生…。~fin~』
うん…、う~ん?
これが理想か?
これだけが理想か?
と言われるとう~ん…。
結果としてそうなった人が、後から振り返って、「やれやれ、あの時勇気を出して学校に登校して本当に良かった」とホッとするのはもちろん良いことです。
しかし現実としてそうならなかった時に、登場人物の誰かがガッカリするというのはおかしいでしょう?
「これが君にとって理想の脚本やで」、と言われると、そのように歩めない人にとっては、むごいことになります。
不登校の生徒が、学校に登校する、勉強して進学する。これがゴールなのか、ハッピーエンドなのか。
そのあとも学校で楽しい時間を過ごせるのだろうか?
学校に行けていなかった時間を、自分の中でちゃんと消化できているだろうか?
学校の勉強をバリバリ頑張る人は、スゴイなあと思います。
部活や習い事に青春を燃やすのも素敵です。
友人をたくさん作ってワイワイ遊ぶのも楽しそう。
将来の夢を見つけて、それに向かって努力できる人は格好いいなぁと思います。
でもそれだけではないでしょう。
大人たちが、不登校の状態から、頑張って登校した子どもに、「不安な気持ちの中、すごく頑張ったんだろうなあ。」って、いっぱい感動するのは分かります。
でも子どもたちは、その翌日登校しなくなることありますよね。
「やっぱり学校って最悪」っていうことを最後に確認するために、登校してるのかもしれないですから。
学校に行くのも、行かないのも、そうしたいからそうする。
必要だと感じたからそうする。
ただそれだけであって。
試行錯誤の一つ。選択肢の一つ。
ちょっと試しに。興味があって、春から学校に行ってみる。
およそ物語にならない、ドラマチックではないかもしれないけれども、それでいいでしょう?
だから、「四月から学校に行かなきゃ」って思い詰めている子どもには、無理だけはしないで、と伝えたいです。
「そんなこと言ったら、頑張る気になった子の、やる気を削ぐことになるじゃないか」
そう言われるかもしれません。
それでも私は、「無理しないでね」という大人だと思います。
通学路の途中で。初日の教室で。翌日の朝に。
泣き出しそうな気持ちになって、動けなくなった時に。
これ以上無理しないでね。
決して絶望しないでね。
というメッセージを何とか届けられないかと考えています。
春に向けて準備をしようと頑張る姿勢は、素晴らしいと思います。
そして実際に学校に行こうと、チャレンジしてみるのも偉いと思います。
でもドラマや漫画のように、脚本があるわけではありません。
笑うべきとされた場面で笑顔になり、感動すべきと指示された場面で感動する必要はまったくありません。
「しんどい、つらい、行きたくない」と感じたら、それが正解なのです。
生きていくために絶対、学校に行かないといけないわけではありません。
そりゃあ多くの人が、そうだったらいいなと、なんとなく感じている姿であることは分かります。
でもそれだけです。
学校に行かなくてもいいのです。
そう考えるのが難しければ、
「今の学校が自分に合わない。」
「体調が整うまで少し休む。」
他にも色々な言葉で、自分の中で折り合いをつけることはできるはずです。
この4月から学校へ行くのも行かないのも、どちらも選択肢のひとつです。
選ぶのは大変だけど、「無理をする」必要だけはないのです。