フリースクールに携わっている動機 その2 (中学でパニック障害になったこと)
2021/07/09
①の続きになります。
私は中学2年生の2学期から学校に行かなくなり、その後、不登校のまま中学を卒業しました。
期間にすれば1年8か月くらい学校に行っていません。
学校に行けなくなった直接的な原因は、パニック障害になったことです。
近年は芸能人やスポーツ選手でもパニック障害で悩んでいる人が多いようで(おそらくは表立って告白できないだけで、昔からあったのでしょうけど…)、そういった記事を目にする機会も増えました。
私の場合は、中2の運動会の本番で、大きな発作が起こりました。
それまでは体調に何の問題もなく、リレーも走って、クラスメイトとふざけあって過ごしていました。
気が付いたら、突然、色んな感覚が遠いものになり、目の前の風景の現実感がなくなっていることに気が付きます(気が遠のく?)。
筋肉が強張っていて、足や手はブルブル震えて力が入りません。
そして何より、とにかく怖いのです。
理由もないのに、自分の体の状態が恐ろしい、周囲の何もかもが恐ろしい、冷静な判断ができません。
その後どうなったのか、実はあまり記憶にありません。
先生に連れられていったのでしょうが、校舎の休憩室で横になって、体の震えが収まるのをじっと待っていたのは覚えています。
(運動会をサボっていた、ちょいワルの生徒が話しかけてくれたのは今でもなぜか覚えています)
身体の異常はすぐになくなり、早退することになりました。
母親が連れて行ってくれた内科での診察は異常なし。心電図その他、健康そのものでした。
しかし後日に同じようなことが、学校の休み時間の教室で起こりました。
保健室に行きましたが、自分の身体の状態をうまく説明することが出来ず、そのため保健室の先生もどうすることもできません。
「とにかくおかしい」「自分のからだが、普通じゃないんです」「どうにかしてください」
生徒が脂汗を出しながら、そう訴えてくるわけですから、先生方も困っただろうなあ、と思います。
私は、これからも同じようなことが起こるのではないかと思い、学校に行けなくなりました。
そして心療内科の先生に診てもらい、しばらく学校を休むことになりました。
自分としては、症状が出てきた時への恐怖感が薄れれば、また学校に行くつもりでした。
長期間休むとは思いませんでしたし、それはダメなことだと思っていました。
しかし学校を休んでいる時期に、気晴らしに外出した際に、とても大きな発作がありました。
古本屋さんへ一人で買い物に行ったときのことです。
「あ、これはまずい!」
と思った時には体が震えだし、一歩も動けなくなりました。
家からは少し距離があって(3~5キロくらいかな)、まずいことに当時は携帯電話を持っていません。
誰も助けてくれないし、どうやって助けを呼んでいいのかも思いつきません。
河川敷のベンチに横になったまま、ブルブルふるえていました。
「もう立ち上がることができないし…、横に転がって移動して、川に落ちよう…。」
「そうしたら、きっと誰かが気がついて、救急車を呼んでくれる。」
怖くて怖くて、考えつくのはそんなことばかり。
「きっとこのまま死ぬんだろうな」
「こんなにしんどいのが続くなら、このまま川に飛び込んで死んでもいいな」
そんなことまで考えていました。
私の考える、パニック障害の発作の厄介なところのひとつに、一番しんどい時を過ぎると、身体自体は健康というところです。
私は内臓も血管も脳も、異常はまったくありませんでした。(むしろ健康そのもの、運動好きな子どもでした)
事情を知らない人からすると「何バカ騒ぎしているの?」となるかもしれませんね。
(ベンチに横になっていると、泣いているように見えたのか、何かの勧誘の女性が二人、「あなたはお困りのことがありますか~」みたいに話しかけてはくれました。でも「体調が悪い」と伝えると、「あ、そうですかー」とスルーされたのは、なぜか覚えています。)
つまり、自分ももちろんですが、周囲の人も基本的には何も出来ない、ということなのです。
発作が収まるのを、しんどい思いをしながら、じっと待つことが基本です。
分かってはいるのですが、外出先でいざという時「(自分も含めて)誰も頼りにならない」ということは、当時の私には重たい事実でした。
30分ほどでしょうか、ベンチで横になっていたら発作は収まりました。
意を決して自転車に乗り、自宅に帰りついても、何があったのか、どれだけしんどかったのか、家族にうまく説明できませんでした。
それ以来、私は家から外出することができなくなりました。
自宅の目の前にあるスーパーに買い物に行くのもできなくなりました。
「外出先で倒れたら、誰も助けてくれないじゃないか!」
頭にあるのは、そればっかりでした。
他にも色んなことへの不安感が強くなりました。夜就寝するときに、心臓の鼓動が気になってなかなか眠れません。
のどに何か詰まっているような気がして、水ばかり飲んでいました。
そうしたことがしばらく続いたため、私自身も両親も
「しばらく学校には行けないかもしれない」
と諦めがついたのだと思います。
そうした学校に行かない生活の中で、私がどのように生活して、家族はどのように接していたのか、次回は書いてみたいと思います。