なんで勉強せなあかんねん? と聞かれたら①
2020/08/04
「なんで勉強しないといけないの?」と、子どもたちに聞かれたらどう答えましょう。
学校に登校して授業をしっかり受けている子でも、苦手科目で苦労したり、宿題をやりたくない時に
「なんで、こんなことせにゃあかんねん!」と言ったりします。
そしてもちろん不登校の子どもたちも、こういう気持ちは持っているかもしれませんし、
むしろ不登校の子どもたちのほうが、強く意識しているのかもしれません。
学校に行けずに、スケジュールも決まっていない中で自発的に勉強するのは大変です。
それに学校に通っていないので、少なからず同級生から勉強が遅れてしまっています。
そこから勉強を頑張るのはやっぱりしんどいのでしょう。
思った通りに勉強が進まないときに、
「なんで勉強せないかんのぉ?」
と零してしまうのでしょうね。
なんで勉強するのか?
改めてそう子どもたちから聞かれたら、うまく答えられる自信がないです。
「みんなやっているでしょ? それに将来困るから。」
こういう返答は無難だけど、なんだかはぐらかしているような気もします。
もちろん大人になってから、「学生時代に勉強しておいて良かったぁ」、あるいは
「もっとしっかり勉強しておけばよかった…」、と感じる機会はたくさんあります。
結局は学生時代に勉強しておくことが、他の道のりに比べて楽ちんな方法なのかもしれません。
でもそれを子どもたちにうまく伝えるのはとても難しい。
「良い仕事に就けないよ」
「教養がないと視野が狭くなるよ」
伝わらない気がします…。
その子が「○○高校に行きたい」とか「××大学に行きたい」といった目標を持っていたなら、
「それなら勉強しっかりしないと、受験に受からないから頑張ろう。」
こういって一旦は解決するのですけれど。
でも
『なんと言われようと、勉強ができない、きらいだ』
『学校の勉強と、自分のなりたい職業は関係ない』
『周りの大人たちが、学校で習ったことを役立てているように見えない』
こんな子どもたちの反応になかなか返す言葉が見つかりません。
かといって、「勉強はしといたほうがいいよ…?」という気持ちだけは、こちらも譲れないのです…。
困った。
というわけで、なぜ勉強するかをちょっとだけ考えてみることにします。
パッと思いついたのは、以下。
ⅰ.社会がそれを前提としているから?
ⅱ.将来の選択肢を保持しておくため?
ⅲ.公平に負担するため?
ⅳ.やっぱり学ぶのは楽しいんやで
ではまず
ⅰ.社会がそれを前提としているから?
なんだかんだ言っても、みんながある程度の学力があることを前提に、
世の中動いているんだもの、だから勉強しよう、という理由。
乱暴だけども意外に説得力があるかも…?
『説明書が読めない』
『役所から送られてくるお知らせが理解できない』
となると日常の場面でしんどい。
いや年金や税金のお知らせとか、保険のパンフレットとか分かりにくいのは確かなのですが…。
(これ以上説明の内容を簡略にすると誤解が生まれるし、かといって丁寧にしすぎると手間がかかりすぎる。
これくらいの文章は大人なら読めるでしょう? と言われると、まあそうなのかな? となる。)
どんな情報であっても、しっかり理解できていればいるほど、私たちにとってお得なことが多いです。
スーパーで、『ただいま表示価格から3割引き‼』
3割ってどれくらいとか、少数分数計算できへんとか、掛け算だっけ割り算だっけ?
パッと計算できたほうが得する場面は多いかな?
もちろん、
「そんなん理解できなくてもなんとかなるわい!」
「こっちが理解できるまで、わかりやすく説明せんかい!」
という大胆な生き方もありかもしれないけれど…。
それに小学校、中学校の勉強がある程度できていれば、そこまで日常生活で困ることはないから、
それ以上のモチベーションには繋がらない意見かもしれませんね。
でも私のような小心者は特にそうですが…、
「そんなことも分からないんですか…?」
という顔をされると、意外にストレス感じますよね?
次回に続きます…